双子妊娠

【前編】妊娠26週で超低出生体重児を出産した私。双子退院までの短くて長い道のり。

私は26週で超低出生体重児の双子の女の子を出産しました。

私の場合は双子特有の病気、双胎間輸血症候群を発症し早産になってしまったのですが、早産は双子に限りません。

  • 早産せざるを得なかったママ
  • 結果的に早産になってしまったママ

赤ちゃんは突然生まれてしまうこともあり、早産は思っている以上にママへの負担になります。
ただでさえ産後不安定なのに赤ちゃんの心配や面会、周りへの対応。

自分が悪いわけじゃないとわかっているのに自分を責めてしまっていませんか?

心の変化として自然といえばそうかもしれませんが、苦しいと感じる時間は心身のために短いほうが絶対にいいです。

今回の記事は長くなるので、前編後編に分けました。

前編は出産から私が退院するまでの10日間の私の心の変化についてです。

今しんどい思いをしているママの、少しでも支えになれますように。

【後編】妊娠26週で超低出生体重児を出産した私。双子退院までの短くて長い道のり。今回の記事は前回に引き続き、私が退院してから子供たちが退院するまでの私の生活やメンタル面についての紹介です。 入院中は24時間サポ...

流産・早産の分かれ目は22週

2019年2月26日に慶応義塾大学病院の、2018年に妊娠24週で268gで生まれた男の子が退院したという発表は大きく取り上げられたので皆さんご存じかと思います。

慶應義塾大学病院小児科(教授:高橋孝雄)にて、268グラムで妊娠24週に出生した超低出生体重児の男児(担当医:有光威志助教、飛彈麻里子准教授)が2019年2月に生後5か月で同院新生児病棟を退院しました。大きな合併症も無く元気に退院した男児としては、世界で一番小さい赤ちゃんです。

引用 慶応義塾 公式ホームページ

このニュースを知って元気づけられた人は多いはず。

私は、この赤ちゃんが必死に生きようとしている姿を生まれた時の2人と重ね泣きそうになってしまいました。

現在の日本では、妊娠22週に到達していれば早産とみなされ、生まれると蘇生処置が施されます。

我が家の双子は850g・900gで生まれましたが、妊娠22週時は500gもありませんでした。

そんなに小さくても(もちろん命の危険はあるけれど)外界に出ても成長できる可能性がある日本の医療は本当に素晴らしいと思います。

しかしながら早産は赤ちゃんの命に関わります。

必ずしも健康で、順調に大きくなるわけではありません。

生まれる週数が1週間違えば生存率が10%以上変わることも。
容体が急変することもあります。

生まれた週数によって成熟段階が違うので、成長も変わってきます。

また、おなかの中での推定体重は必ずしも正確ではありません。

胎児によって発育が異なるため、週数と比べて大きい・小さいことはよくあります。

だから今赤ちゃんが小さめだといわれているママも、どうか気にしないように、長くおなかで暮らせるようにゆったりと過ごしてくださいね。

雪がちらつく日、双子は生まれました

救急搬送された大阪母子医療センターから、週数的に手術ができなくなる日を待って元の総合病院に逆搬送された私。

その4日後の雪がちらつく日、2人は生まれました。

妊娠26週頃の赤ちゃんってどんな感じ?

妊娠26週頃の胎児は、体重は約800~1000g、身長は約30cmあります。

このころを境目に多胎児と単胎児は大きさに差がでてきますが、2人のおなかでの発育は週数通りでした。

妊娠22週での生存率は30%ともいわれますが、一般的に外界に出て後遺症は残ったとしても、生存率がまあまあ高くなるのが妊娠26週…ということで私は妊娠26週で出産しました。

※双胎間輸血症候群は場合にもよりますが、私の場合何らかの処置をしないと妊娠26週を境に胎児の生存率が下がるといわれたため出産

妊娠26週では主要な臓器などは完成に近くなっているものの、皮膚はまだ完成していません。

肺の完成もまだで、目は開きますが視力はありません。
ひとりでうんちを出すこともできません。

もちろん飲み込むこともできないので、生まれたら栄養は点滴になります。

泣かなかった姉、なんとか生きている妹

生まれたばかりの超低出生体重児の双子の赤ちゃん予定帝王切開日までもたず、緊急の帝王切開で2人は生まれました。

手術中はとにかく元気で生まれてきてほしいと、妹のか細い鳴き声を聞いて安心していましたが、姉が仮死で生まれたことは知らされませんでした。

2人にはそれぞれ小児科医1名とNICUスタッフ2名がつき、姉は手術室横にある部屋で蘇生。

私には広くて明るい近未来的な手術室の、遠くの隅を移動する保育器2台が目に見えただけでした。

保育器は1台につき2人のスタッフが押して移動し、呼吸器を手動で動かすためにもうひとりスタッフが付き添います。

2人は夫が待つ面会室へ通され、夫は数十秒面会が許されたそうです。

その時夫が撮影した写真です。

2人は緊急の処置を受けたあと、おむつを履かせてもらいました。
(NICUに入るとおむつ替わりにガーゼを当ててしばらく裸で生活します)

保育器の中で透明なドームを被せられているのは、体温を逃がさないため。
このドームも容体が安定するまでは取り外し不可です。

保育器の中にいても重装備。

2人ともなんとか呼吸している状態で、手足は動きません。
力が入らずだらっと伸びきっています。

スタッフの手が少し映っていますが、生まれた時の大きさは頭がオレンジ、体がグレープフルーツくらいでした。

皮膚は半透明で赤黒く、心拍計の赤いランプが透けて見えます。

羊水の中にいたので全身ぶよぶよです。
ガリガリだけど、ぶよぶよ。

生まれた直後に挿管し、心拍計が装着されました。
NICUに入ったら数時間にわたり血液検査やMRIなどの精密検査を受け、どんどん機械がつけられていきます。

帝王切開の夜

帝王切開では胎盤が癒着していることが分かったため、予定より30分手術時間が伸びました。

麻酔を追加して羊水や血液を吸引、胎盤を剥がしたら子宮内を洗浄して縫合、終了です。

全部で5リットル近くの液体を吸引しました。
出血も多かったため、私は貧血に。

部屋に戻って、夫から検査と処置が始まっていると聞かされました。

検査が終わったのが20:00頃、そのあと主治医から「まずは24時間の生存を目指します」と話がありました。

今思い返す限り出産当日の私はとても幸せな気分でした。

命がいつ亡くなるかわからない状態で、どうしてだったのでしょうか。

私は最新の医療技術で2人は助かると、思い込んでいたのです。

今思うに出産の疲労と、大きなおなか(26週で腹囲101cm)から解放された安心感だったのかもしれません。

自分のおなかにいればいつ亡くなるかわからないけど、外に出たら最新の医療で何とかしてもらえると安心したのだと思います。

私は寝たきりのため、夫が撮影してくれた2人の動画を病室で見ましたが、画面に映る2人は私の目には普通の赤ちゃんに見えました。

だから余計に現実がわからなかったのです。

初めての対面で泣き崩れた私

過酷な日々が始まったのはその翌日からでした。

帝王切開をしてもなるべく早く歩いたほうがいいのですが、貧血がひどく起き上がれないのと、後陣痛がひどくて車いすで面会に向かいました。

NICUへは専用の使い捨てエプロンと帽子、マスクをつけて手洗い、消毒をして入ります。

ベッドは12床ですが、双子だからといって隣同士になるわけではありません。

総合病院は救急搬送されてくる新生児もいるため、NICUは常に満床。

NICUは白くて薄暗かったです。
機械の音だけがうるさいくらい常に聞こえていました。
各保育器につけられたアラームがメインです。

呼吸や血圧が不安定になるとアラームが鳴り急ぎ足で保育器に向かうスタッフ…大人が入る集中治療室とは全然違う雰囲気でした。

まーこ
まーこ
私はこのアラームがトラウマになりました

最初に姉のところへ連れて行ってもらいました。

そこ私が見たものは、赤ちゃんとは思えない、ロウでできた人形のような姉でした。
仰向けで寝かされ、四方はタオルで固定されています。

手足には点滴やその他機械が取り付けられ、外れないように包帯で巻かれています。

全身黒く、ときどきピクッとする動きは、赤ちゃんの動きには全く似つきませんでした。
(エコーでよく見る、あのピクッとする動きです)

可愛さのカケラもありません。

もっと言えば私のおなかに入っていた子だと信じたくありませんでした。
それくらい衝撃的な光景でした。

そして気づいたら足の力が抜け、私はその場で泣き崩れていました。

スタッフが後ろから肩をポンポンと叩いてくれます。

その後、妹を見せてもらい、すぐに病室に戻りました。

NICUには3分もいなかったと思います。
どこかで普通の赤ちゃんを想像していて、2人を見てショックだったことは否定しません

この子達、生きられるの?
母親の私でさえそう思ってしまうほど、2人は重篤な様子でした。

24時間・72時間…2つの壁を乗り越えるまで

産後24時間はあっという間でした。

初対面が産後24時間を過ぎるころだったので、どうにか命をつないでいるということがわかり安心しました。

常にアラームが鳴りながらの24時間。

生後間もないこともあり、急変に備えてアラームが鳴っていない時でも常にスタッフが気にかけてくれます。

生後24時間の超低出生体重児の赤ちゃん
写真は生後24時間ごろ。
大人サイズのハサミ型クリップと比べるととても小さいです。

まだ目は見えなくても、ママの視線に気づいている

スタッフは私の気持ちを察していたと思います。

だからなのかその次の日もNICUに行こうと誘ってくれ、私は車いすで向かいました。

実はあまり気が進まなかったけど、行くたびに機械の説明とか、さっき目を開けていましたよとかいろいろ教えてくれました。

でも私は生んだだけで、いや帝王切開も先生で、2人は何の反応もしないし、ミルクもあげられない、抱っこもできない。

私は自分が何のためにここにいるのか、必死に理由をさがしていました。

出産当日はあんなに幸せな気分だったのに、翌日子供たちを一目見たあとは正反対の感情に変わっていました。

その気持ちを知っているかのように、スタッフが言葉を進めます。

「目は開いても、まだ見えないんです。だけど、赤ちゃんはお母さんの視線がわかるんです。だから、見つめてあげてくださいね」

「耳はちゃんと聞こえていますよ。ママのぬくもりも伝わります。ママが今日したことや考えていることを、ホールディング(タッチ)しながら教えてあげてくださいね」

「話しかけて、触ってあげてください。それだけで、赤ちゃんの呼吸は安定するんです」

保育器の中の赤ちゃんをなでる大人の手私はそっと妹に手を添えました。

こんなに小さくても頑張っている。

何もできないわけじゃない、私にしかできないことがある。

そう思えたのはスタッフのおかげです。

2日目から私はこの目でしっかりと子供たちを見るようになりました。

義母の心無い声と実母の涙

生後72時間に達す日、夫の母がお見舞いに来てくれました。

NICUは赤ちゃんの両親以外は入れないので、家族はNICUの窓越し面会になります。

保育器が遠い場合近くまで保育器ごと連れてきてくれるのですが、保育器の中でさらにタオルに包まれているのでよく見えません。

せっかく来てくれたので、会ってあげてくださいと窓越し面会に案内したのですが
その時の義母の声に私は絶句しました。

「赤ちゃん、生きてるの?こんなに小さいと死んじゃうんじゃないの?」

義母は生きてきた時代が時代なので、考え方も古風です。

それはいいのですが、デリカシーがないというか、自己中心的な考えをしていて他者についてあまり配慮をしません。

悪気はないのですが、私はこれまで何度も傷ついた経験があります。

だけど仮にも夫の母なので案内したのですが、そう声をかけられて私は「大丈夫です。生きています…生きます」としか返事できませんでした。

義母が帰った直後、実母がお見舞いに来てくれました。

実母にも窓越し面会を案内しましたが、実母は言葉を失っていました。

たくさんの管をつけられた痛々しい姿を見て、ただかわいそうにと泣いていました。

「こんなに小さくても頑張っているね、元気で退院するんだよ」と言って帰宅しました。

実母には生んであげられなかった命があるのでそう思ったのかもしれません。

搾乳の始まり

出産4日目、まだいいかなと言われていた搾乳が始まりました。

産後の貧血で起き上がることもできなかった私だけど、2人は小さいので初乳はぜひあげましょうと助産師が乳腺の開通をしてくれることに。

これが痛いのなんの、助産師に聞くと妊娠26週ではまだ母乳を出す準備が整っていないので痛みは仕方ないとのことでした。

それなら理解できる…けど耐え難い痛みでした。

出る量は最初は1cc、シリンジに直接吸い取らせて、NICUで経管チューブに入れます。
3時間に一度の搾乳が義務付けられました。

2、3日は激痛だったと思いますが出る量は次第に3、5、10ccと増え、やっと電動搾乳器を使えることに。

このメデラスイングは私が自宅搾乳用に購入したものなのですが、病院ではメデラスイングの産院用を使っていました。

まーこ
まーこ
手で搾乳しているように全体から搾乳できるのがポイント!

メデラスイングはちょっと高いけど使い終わったらメルカリやオークションで売れるし、何より搾乳が楽でした!

ゴルフ場やゴルフ観戦中でもトイレや授乳室で搾乳できる手軽さ←したのかよ

夜中半分寝ながら搾乳してバシャーとこぼしたこともあります。笑

後陣痛の痛み

双子妊娠は子宮もおなかの皮膚も単胎妊娠以上に伸びます。

胎盤も2人分なのでつわりがひどいといいますが、伸びた子宮が縮まる後陣痛も私はひどかったです。

産後メンタルが不安定になったのはホルモンの影響に加えて子供たちの心配もあったからですが、それとは別で体調面でも不安定でした。

帝王切開の傷は10cmほど、素早く胎児たちを出すために縦切りでしたが傷跡自体は良好。

痛み止めの薬(ボタンを押したら点滴と一緒に落ちるもの)は、なくなったら追加してもらえると思い込んでいてじゃんじゃん使ったあとにもうおしまいですと言われ、悲惨な後陣痛過ごしました。笑

それも産後4日間ほどで症状は治まりました。

しかしなかなか戻らないおなかを見てびっくりもしました。

退院そして仕事復帰…3時間ごとの搾乳生活開始

出産をしたときは出生届や社会保険、健康保険の手続きなどたくさんの書類が必要になります。

赤ちゃんが何らかの理由で特別な処置や入院をする場合はさらに書類が必要になります。

申請が遅れると治療や入院に関して一時的に費用が発生することもあり、我が家は夫に走ってもらってすぐに書類を準備しました。

退院日(金曜日)に役所にて手続きをして、土日は夫の祖母のお通夜に葬儀、月曜日から仕事復帰。

自営業だと産休育休はないので、ゆっくりしている暇なくまだ痛いおなかを押さえての仕事復帰でした。

復帰後は3時間ごとに搾乳しながら昼過ぎまで働いて、母乳を届けて面会、夜間も3時間ごとの搾乳を守る生活が始まりました。

産後は書類の手続きもあるので身体の痛みと戦いながらでしたが、久しぶりに自宅に戻って一気に現実に引き戻されました。

退院後から子供たちの退院までの私の生活やメンタル維持方法は次回後編にて!

【後編】妊娠26週で超低出生体重児を出産した私。双子退院までの短くて長い道のり。今回の記事は前回に引き続き、私が退院してから子供たちが退院するまでの私の生活やメンタル面についての紹介です。 入院中は24時間サポ...